<浦島太郎の残し文>

學校(昭和11年5月20日)

ぼくは、學校が大すきです。「おかあさんは學校へいってえらい、人にならなければいけません」とおっしゃいました。「ぼくは、いっつしょうけんめいべんきょうしてえらい人になろうとをもってゐます。」
ぼくは、おかあさんのおてつだいやおつかいをしてしてゐます。おかあさんさんは、「二年のをわりにもごほうびをいただいて、きたらどうわの本をかってあげます」とおっしゃいました。
ぼくはまへよりももっと勉強をしてゐます。おとうさんもはんしを五十まいかってあげますと。おっしゃいました。おかあさんはからだおじょうぶにしなければいけないとおっしゃいました。
ぼくはうんと、うんどうをしてべんきょうをしてゐます。三年にもごほうびをもらってきたらなんかかってあげますとおっしゃいました。そうおっしゃったのでぼくは、三年にもぼほうびをもらををとおもってゐます。
おばうさんのやおやさんにいくときやかえってくるときぼくはおだいこやほかのおやさいおもってきてあげます。

おてつだい(昭和11年6月4日)

ぼくは、おうちのなかのおそうぢをしました。ぼくは、そとへでてみますと、おとうさんが、おにはを、おさうぢをしていらっしゃいました。 
ぼくは、それを、みて、「おとうさん、ぼくもおにはを、はきいませうか」といひました。おとうさんは、ありがとうとおっしゃいました。ぼくは、おだいどころへいきますと、おかあさんが、「かづちゃん、をとうふをかって、きてちょうだい」とおっしゃいました。ぼくは、をとうふをかってきて、おかあさまに、わたしました。おかあさんは、「ありがたう」とおっしゃいました。ぼくは、きふに、うれしくなりました。
ぼくはおにはにでて、はげいとがめがでたか、みていますと、おかあさんが、およびになりました。ぼくは、はいと、いって、おうちにはいりました。おかあさまは、「かづを」とをよびになりました。ぼくは「なに」とききますと、おかあさんは、「やをやさんへいってたまごをかってきて」とおつしゃいました。ぼくは、「いってきますよ」といって、もんをでました。
すると、いぬが、ぼくのかほほぢろぢろながめています。ぼくは、よくかんがえてみると、こないだぼくは、このいねに、さかなのほねをやったからだなと、おもいました。ぼくは、あ、そうだたまごをかひにいくのをわすれたと、ひとりごとをいって、たまごをかひにでました。「おかあさん、たまごをかってきました」。おかあさんは「ありがたう}とおっしゃいました。
おぢいさんは、「かづちゃんのぐちさんへいって、びんせんかってきて」とおっしゃいました。ぼくは、はいといって、でかけました。そして、おぢいさん、「かって、きましたよ」といひました。するとおぢいさんは「ありがたう」とおっしゃいました。ぼくはきふにうれしくなりました。ぼくは、おにはで、ぼくはばらのつぼみがいくつあるかみていますと、おかあさまは、もうおうちにはいりなさいと、おっしゃいました。ぼくはおうちにはいりました。

おとうさん(昭和11年7月2日)

おとうさんが、じゃうろでおにはのかだんへ水を、やっていらっしゃいました。ぼくがそれをみて、「おとうさん、ゆふがた水をうえきにやるとうえきがくさらない」とぼくが、いひますとおとうさんは、「このくらひだいじょうぶだよ」と、おっしゃいました。
ぼくは、うちにはいりますと、おとうさんは、ちゃぶだいのそばで、しんぶんを、よんでいらっしゃいました。おとうさんは、「かずをごはんをたべなさい」と、おっしゃいました。
ぼくは、ごはんをたべて、六時の子どもの時かんをききながらごはんをたべました。ぼくは、ゆうはんをたべて子どものしんぶんをきいておかあさんとわらひばなしをしてゐますと、おとうさんは「七時のにうすをかけな」とおっしゃいました。ぼくは、らぢおをかけました。おとうさんは、つくゑの前にすわってたばこをすってゐらっしゃいました。
ぼくは、もうねようといってねますともうおぢいさんは、ねてゐました。ぼくはねどこのかやの中であばれてゐました。すると、おしっこがしたくなりました。ぼくは、かやからおきてべんぢょへいきますと、おとうさんは、まだおきてゐらっしゃいました。ぼくはべんぢょに、いってかへってかやへはいりました。おとうさんは、でんきをけして、きものをきていらっしゃいました。おとうさんは、とこえはいってねようとおしになりますと、こそこそ、こそこそと、いふ音がしました。ぼくが、にゃごにゃごといひますと、その音がやみました。おぢいさんもその音にめがさめていらっしゃるやうです。ぼくはおぢいさんと一っしょにねました。

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