< 浦島太郎の残し文

<浦島太郎の残し文>

省略タイトル一覧

昭和11年 9月 4日     はと
昭和11年11月12日     つみき
昭和12年 1月19日     かるたとり
昭和12年 2月 3日     山火事
昭和12年 2月 4日     豆まき
昭和12年 3月25日     たね物の手入れ
昭和12年 4月13日     お花見
昭和12年 6月10日     私の家
昭和12年 6月17日     おまつり
昭和12年10月14日     僕たちの兵隊さん  
お國のために、はたらいてくれてありがとう。僕たちも、一生けんめいに、勉強をしています。  
だから、安心して戦って下さい。それでないと、僕たちは、勉強をしていくことができません。  
どうか、おからだにきをつけて、お國のためにりっぱにはたらいてください。僕たちは、兵隊ごっこばかりやって居ます。兵隊さんたち、あのにくゐ、支那兵をめちゃめちゃにやっつけて下さい。  
兵隊さん萬歳。

昭和12年11月20日     僕の金魚
昭和13年 1月13日     びっくりした事
昭和14年 4月26日     僕は釘である
昭和14年 5月29日     うちの金魚の事
昭和14年 7月 2日     小さなギャング  
夏になるとどこでも蚊がでる。體は小さいし又聲も「ぶうん」と小さい聲しか出せないくせに、さされると思いのはおかいたい。  
蚊はとても人のためにわるい事をするので、まるで虫の中のの小さいギャングである。  
僕が、家で勉強する時もきっと、此のギャングが出て来る。足がきもちわるいと思って見ると必ず蚊がとまってゐる。僕は、又来たなと思って、たたかうとすると、「ぶうん」といって、逃げて行く。さうして、人間には、わるいばいきんを入れて、自分は、人から血をたくさん取って逃げて行く。   
夜出てくるのは、しかたがないが、こっそり晝出て来る、ギャングは、蚊の中でも最もずうずうしいやつにちがいない。つぶすとまっ赤な血が手につく。  
おかあさんは、僕の勉強のさまたげになるだろうとお思いになって、机の下に蚊取せんこをたいて下さる。さうすると足はさされないが今度は、頭や手を、攻撃しに来るので、へいこうする。  
蚊は人間にとって、大害虫であるので、早く此のなまいきなギャングを一ぴきも地上に出さないやうに早く・・・

昭和14年 9月11日     綴り方の題
昭和14年 9月25日     科学博物館
昭和14年10月 9日     飛行場へ  
僕の所へ、陸軍大臣から招待じやうが来たので、第二回目の興亜奉こう日に、僕は校長先生と中島君や上村君や堀部君たちと、羽田の飛行場へ飛行えんしゅうを見に行く事にした。  
保土ヶ谷から、省線で横浜まで行き、それから京浜線ににのりかへた。さうして僕たちは、向ふの様子を話しあったり、驛の名を言ったりしたりしてゐるうちに 川崎に来た。僕は、かまたの驛は、此の次だな、と思った。その内に、電車は走り出した。僕は、周りの景色を見てゐるうちに、とうとうかまたに来た。堀部君が、「おりるのだよ」  と言った。僕はおりようと思ったが人があまり大ぜいで、中々おりられなかった。驛の外へ出ると、体がすっとして、とても気もちがよい。  
ここから飛行場行きの乗合自動車が出るといふので、僕たちは、その方へ行った。けれど人が大ぜいで、とてものれさうもなかった。さうして、一時間餘もまって、やっと、乗る事が出来た。  
だが、道の半分もいかぬうちに、人が大いのでおろされてしまった。しかたがないのでそれから、飛行場に急いだ。

昭和14年10月18日     僕はうさぎである
昭和15年 2月 5日     節分   
夕御飯をたべてラヂオをかけた。ラヂオは童話劇で「「豆まき」であった。少し聞いてゐると、下の家からも隣の家からも、  
「福は家、福は家鬼は外」という聲が聞こえて来るので、「家でもそろそろやろう」と、おぢいさんがおっしゃったので、豆をまき始めた。神棚から豆を下ろしてまいた。  「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外」とまいた。それがすんでから、豆を食べた。僕は豆を自分の年より皆一つぶ多く僕は十四たべた。  
おばあさんとおぢいさんとは、「自分のかづまでとてもたべられない」。とおっしゃった。僕は今年十三になり一つ年がふえたのであるからそれだけにしっかりやろうと思った。近所の家からはまだ、  福は内、福は内といふこえがきこえてゐた。戸をあけると豆が、ぽつんぽつんと雪の中にところ所に落ちてゐた。

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