<浦島太郎の残し文>

ボクは、こんな奥さんがほしい(青光より抜粋)1

昔から、妻をめとらば、才たけて、見目うるわしく情あり・・・・・と言われて来た。また、気のきかない女房をもらうと、60年の不作ともきく。  こうした先輩たちのアドバイスを頭においた上で、いろいろ考えてみたが、結局、ボクと同じ次元で、、物事を考えられるひと、そういう人を奥さんにしたい。  それでは、少し抽象的になってしまうから、さまざまなアングルから、具体的に、ほりさげてみたい。札幌の雪祭りで、氷の彫刻をつくるように、外側から荒けずりをしてゆこう。

服 装

まず、地味がいい。ボクは、ハデ(派手)は、嫌いだ。何色ともえないような、生地を選ぶ人が、好きだ。渋いというのか、寂(さび)があるというか、それでいて、気品の高い無地をこのむ人なら、素敵な共同生活が、できそうだ。

ミニとマキシ

ボクは、ミニもマキシも、かんしんしない。ミニは体に悪いと信じているからだし、マキシは不潔だ。真冬にふきさらしのホームで、ガタガタふるいているミニを見ると、頭までがミニだとしか、思えない。  また、マキシをズルズルひきづって、駅の階段を上ってゆく姿は、ロード・スイーバーのように見える。あんなのが、部屋の中にはいって来たら、年中、掃除機を使わなくては、ならなくなる。  スカートや、ワンピースは、腰かけて、膝小僧は、スッポリかくれるくらいがいい。流行が、どう変わろうと、いつも同じ寸法の服をきていないと、気がすまない、といった性格の人が、好きだ。  ただしこれは、家庭と私用外出のときで、例えばスチュワーデスやアナウンサーのように、勤務の関係で、本人の意思に反する場合は、もちろん、この限りではない。  ただ、この頃は、化粧をおとす時間がないわけではないのにドーランを塗ったまま、ステージの外に出て来るタレントを見かけるが、ああいう人が、いやだと言っているまでのことだ。

キ モ ノ

どういうわけか、ボクは、和服姿を見ると食欲がなくなる。キモノを着ている女中さんが出てくると、旅館にとまっても、落ちつかない。ボク自身、浴衣(ゆかた)やドテラを着たことがないし、無理に旅先で着せられると、翌日、肩がはって困る。ときには、カゼをひいてしまうことさえある。  もう、四〜五年まえになるが、上野あたりの喫茶店で、週刊朝日を見ていたら、その色グラのページに、どこの女子大か、マンモス卒業式の写真が出ていた。  見開き二ページにわたって、ベタ一面にキモノ姿があでやかにのっていた。そのほぼ中央に、なんと真の洋服姿の女性が、たった一人いるではないか。  そのとき、あッ、ボクは、この人を奥さんにほしいと思った。すぐ電話して聞いてみようと思ったが、その矢先、とんでもないヤボ用がとびこんで来て、ついにそのチャンスをのがしてしまった。人間が、びっしり写っていたから、顔は、さだたでなかったが、きっとああいう人は、ボクにぴったりの人ではないかと、いまでも少し残念に思っている。  この間、ある女の人に「ボクは着物が嫌いだ」と言ったら、「安くて良いわネ」といわれた。じょうだんじゃない、洋服のほうが、よっぽど高い。女性が、洋装で、ほんとのオシャレをしようと思ったら、一着、百万や二百万では、とても、できないそうだ。キモノも、もちろん、それ以上するかも知れないが、ボクのいっているのは、金ではない。感覚だ。といって、ボクは、何も、ケトウ(毛唐)にかぶれているわけではない。  観賞乃至鑑賞、または、観照するのなら、何も言わないが、キモノを着たいという感傷は、いただきかねる。とんかく、キモノを着ることの好きな女の人は、ごめんだ。(つづく)

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