<浦島太郎の残し文>

江戸しぐさ講・・浦島太郎の遺稿から@

浦島太郎。私の名刺です。初対面にこれをご覧になって「八度(やたぎ)の契(ちぎり)で参りますか」とおっしゃるかたたちが現れたら私は、尻尾を巻こうと考えています。
八度契とは、八回の約束を互いに果たしおわって初めて本名を名乗りあり江戸しぐさです。
ご存知の通り、江戸しぐさは江戸の開城とともに姿を消し、江戸ゆかりの人たちも周囲と差し障りを気遣って口の端に出さなかことと、講も表向きには禁止されたため、おそらく今回の講座が明治以降本邦初めての江戸しぐさ講ではないかと思っています。
私が「江戸しぐさを見直す価値と今日的意義はある」と言い出したのは、かの成長期が始まり東京五輪大会などで、東京が日ごとにがさつに変化していくころでした。
以来定期的な集会を続け10年ほど前に、目黒区の社会教育団体登録として認定を受け、「江戸の良さを見なおす会」として活動をしています。

それでは田園調布にほど近い会場を借景に二、三の江戸しぐさを申しあげましょう。
まず、講座の受講者を講中(または座員)と呼びます。 講はテダテと読み、講中は各自「座」を占めます。トト座、カカ座の座です。いかに人生を生きるか、そのテダテ(講)を立てるために真剣に座を作る考え方が講座のの本来ですが、この場合は「江戸しぐさをさらう」会です。 そのため「座」は決して空けてはいけません。
もちろん、お芝居ですから、仕事の関係などで休まれるのは自由にしていますが、「心」だけは持っていただこうと思います。
講中は、ワッと来てサッと去るクラゲになってはいけません。「クラゲには嫁に行くな」と教えていました。一回だけ出て後は来ないのが現代のクラゲです。私の会で言うと、申込者の約半数がクラゲです。

二〜三回出て、二、三回休み、ひよっこり顔を出すのがカトンボです。「カトンボは嫁にもらうな」と教えられました。
蛇足ながら私の会の統計資料ではクラゲ、カトンボを見るだけで予測がぴったり的中し、いまさらながら江戸の町衆の知恵に敬服しています。
そのほか、例えば料理教室に行くつもりで出かけたが、こっちのほうが面白そうだから来たというのを「迷い蛾」といいました。「迷い蛾はやとうな」と教えています。責任のある仕事はまかせられないというわけです。
教育委員会の主催ということもあってか、こちらのほうは目黒の自主活動と違って、クラゲ・カトンボは見当たりません。私に言わせれば、むしろ自由団体でこそ、責任ある行動をとらなければ、真の民主主義と江戸しぐさが板についたとは言えず、複雑な心境です。
講座の会場をお講堂と仮に呼びます。入室するときは、ドアを開け 入るまえに一礼し、入室後また一礼して座を占めます。目線は講段(黒板)です。

入室後、講中は三脱の教えに徹しきらなくてはなりません。
三脱とは、今風にいえば、VIPも平も、会社員も主婦も、地位・年甲斐などを超越して裸の銭湯付合三昧にひたることです。「浮世の俗気をはらいおとして座にのぞめ」というわけでです。そのため、「お年は、お仕事は、学歴は」などというのは最大の失礼です。最初の出合いは肩書きを書くのもいけません。私の名刺に肩書を書かないのもそのためです。
それでは付き合いに困るでしょうという野暮な向きには、江戸しぐさは粋な「遊び言葉」を伝えています。
例えば「見立て良蔵」という名刺を見れば職業は医者とわかる。 「なにもしらない者ですが」と話しを切り出せば若干(20才)という具合に歳がわかります。
失敬な言い方ですが、日ごと野暮ったくなってゆく東京の田んぼに江戸しぐさの演技が広がればいじめの問題をはじめ奇妙な世の汚水も浄化されような気がして、できそこないのろくでなしをかえりみず、本夕も講を開かせていただきます。ご無礼さま。

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