<講座「江戸しぐさ」>
2004年の春に「江戸しぐさ一夜一話」を出版させていただきましたが、「江戸しぐさ」の予備知識のおありの方々からは、好評でございましたが、初耳の方々からは、「江戸しぐさ」?難しくって分からない、というお声が多くございました。
そこで、私自身、初心にもどりまして、「江戸の良さをみなおす会」「未公開」講座から、「江戸しぐさ」第一歩、をまとめさせていただきましたので、お手すきの折、ご高覧いただけましたならば、仕合わせでございます。
よろしくお願い申しあげます。
江戸っ子 第一歩
アームストロングさん。
そうです。かの偉大なアメリカの宇宙飛行士。
彼が、月に降りたとき「この一歩は大きい」とか言われましたね。ものごと、なんでも「第一歩」が大事。
だからこそ、第一歩という言葉もあるのです。と、江戸の寺子屋でも教えたそうよ。なんと200年もまえに。
江戸っ子とは
定義。明治になってから、いろいろ言われだしたそうです。それは、先のことにして、一番わかりやすいのは、昔の江戸の人たちです。
江戸っ子とは「江戸のしぐさをする人なり」
そう聴けばまったくそのとおりね。よく「西洋人と日本人は 習慣やしぐさが違うから おつき合いする時には 気をつけなさい」などと言う人がいますものね。
江戸しぐさ とは?
江戸しぐさ とは「江戸っ子のクセ」だそうです。
「なくて ななくせ、あって しじゅう八くせ」
(49?だったかしら)って言うでしょ。
どんなにクセがないという人でも七つくらいはあるということね。クセのある人は48も49もあるということでしょう。49というのは、ななくせの7かける7でごろあわせかもしれないけど、それにしても、だれにでもクセはあると言っているのでしょうね。きっと。
江戸っ子の癖
くせ。漢字で書くと「癖」
漢音では「へき」と読み、呉音では「ひゃく」と読む。
なんて江戸の寺子屋では教えたそうよ。
意味は「かたまった習性」
一癖。七癖。旧癖。性癖。書癖。習癖。潔癖。
そのほか、かたよった好みを「悪癖」と言うわね。
酒癖。ふつうは「さけぐせがわるい」なんていうけど、こういう癖はよくないわね。
かたひき
路地。江戸では露地と書いたようね。東京は土地の値段が高いから「道路に家を建てる人のことでしょ?」って、ま顔で聞いた子がいるけど、そんなのよ。「三界の火宅をはなれ」なんていう、むずかしい話はあとまわしにして、せまい道で、行く人と来る人がすれ違うときにはおたがいに肩を引き、おたがいに正面衝突をしないようにしました。
いまは、男性も女性も、どちらの肩を引いてもいいんじゃないかしら。ぶつかってケンカするより、ずっとましだわ。第一スマートじゃなくって!
かさかしげ
雨の日。傘と傘とが、ぶつからないようにする癖のこと。「さだくろう なんて むずかしいことを言いだすから初心者に江戸が敬遠されちゃうんですよ」って、芝先生がおっしゃってたけど、ほんとにそうね。 敬遠。ついでに、江戸っ子はケイエンとはいわず「けえん」と発音したそうね。でも、いまは「けいえん」よ。まちがわないでね。傘かしげを「かさかたむけ」とか、傘かたぶけとかいうのも同じことだそうです。
あとつつき
傘。こんなふうに持つとあぶないわね。後から来る人の目でもつついたらたいへんよ。どういう型か?わかるでしょ。
駅の階段やエスカレーターで危ない目をすることがあるわね。
「しないはどうなの?」って質問した剣士がいたけど、長いものをもつときは、みんな同じように垂直に持って歩く癖が、やがて「あとつつき」をしてはいけないマナーになっていったそうよ。
あとふさぎ
「きるなのねからかねのなるき」なんて聞いたって、じゅもんみたいね。ふさぐという字、むかしは、ずいぶんむずかしく書いたのね。。。二つの字は意味が多少違うようだけど、それは後まわしにして、とにかく後から来る人の道をふさがないこと。
そのために、○○などを持ち歩くときにはこんな癖が身についていったのね。
つまり、すれちがうときに体の横側から前にまわしたそうよ。
とおりゃんせ
わらべうたにある「とおりやんせ」のことだそうよ。
これには実にたくさんの「型」があるそうだけど、この第一歩では一番だいじな「お通りやんせ」を一つもうしあげますわね。
商店街。アーケードやペーブメントをよく人がいきかいますね。往(い)ったり来(き)たり。だから往来(おうらい)とはよくいったものね。
商店の人が舗道(歩道)に出るとき、いきなり飛び出さないで、左右を見て、近づいてくる人を一人とおりすごさせてから歩道を横ぎるシグサ。
町屋歩
これを「まちやあるき」とか「まちをあゆむ」などと読むそうです。江戸のころは「歩」に送りがなを付けなかったそうです。歩きにかぎらず、一般に送りがなは付けなかったようですね。
まえに出てきた「あとふさぎ」も後塞と書きますしね。古文書のお話は、ず〜と先のことにいたしましょう。この読みかただって「こもんじょ」「こぶんしょ」「ふるあやがき」などさまざまなくらいですもの。
町屋。東京に町屋という駅がありますね。京成線だったかしら。地下鉄の千代田線にもありますね。あれが「町屋」のなごりだそうです。要するに「町」そのものと思えばいいんじゃないかしら。
たごさくあるき
「あまり書かないほうがいいでしょう」
芝先生は、そうおっしゃったけど、名称として残っているものだから一応あげておきましょう。
上から見て(鳥観。ビルの屋上から歩道を歩く人を見るショット)頭や体を左右に振り振り歩くような人または歩きかたを、そういうようです。
しんまい(新米)の柔道部員などが「おれは強いんだどッ」と言わんばかりにデブンデブンと歩くのも田吾作歩といったそうです。田五作とも田吾作とも書いたようです。
ほんとに強い江戸っ子は、ふつうは かる〜くスイスイ歩いていて、いざ柔道場にのぞむと、がぜん力を出す、そういう歩きかたをイキな町屋歩きといったそうです。
歩きかたにも、TPOがあるっていうわけね。
江戸っ子は、小さいときから歩きかたの練習をしたそうよ。そのお話は、いまの学校でもとても役に立つと思うので、つぎの機会でも書きたいです。
ちどりもどき
千鳥擬。「がんもどき」のことじゃなくってよ。
千鳥には多くの鳥という意味もあるそうだけど、 この場合は「チンチン千鳥の」 あの歌に出てくる千鳥のようにジグザグに歩くこと。お酒を飲みすぎて足がもつれるさまを「千鳥足」というわね。
素面、つまり白面(しらふ)でも、お酒でよっぱらったように歩道を右に寄ったり左にいったりして後から来る人の進路妨害をするような歩きかたをする人に「千鳥擬をするな!」と注意したそうよ。
かにあるき
蟹歩。かにのように歩くことだそうです。どんなときに蟹歩をするのかというと、いまならたとえば駅の改札口のように道幅のせまいところを通るときなどに江戸の町衆はみんな蟹歩をしたそうです。
昔の東京の小学校などでは雨の日など雨天体操場(体育館をそう呼んだんだそうです)などで蟹歩きの練習や競争をさせたそうです。
そういう江戸教育のよさを知っていらした偉い先生がたが戦争のために一人二人と学校を去っていかれるようになると蟹歩きも東京から消えて行ったそうです。
かえる
蛙。江戸しぐさと蛙とのかかわり合いはとても多いようです。江戸の稚児(ちご)たちは「おたまじゃくし」と呼び、親たちは「蛙子(かわずこ)」といったそうです。稚児とはこどものことですね。
してみると、いまの大人たちは、江戸の幼児語を使っているわけですね。
芝先生のお話では、状況に応じて「かえる」という言葉が使いわけられるようになれば「江戸っ子も本もの」といわれたそうです。
もっとも、言われても聞きわけられなければ「トンチンカン」になりますけどね。とんちんかんのことはあとで出てきます。
お話のなかでおもしろかったことは「蛙女房」です。
意味はうすうす知っていたけど、どうしてそういうのかは気にしたことはありませんでした。
蛙は目が上についていますね。だから「女(め)がうえ」というので、年上女房のことなんですって。妻という字を「め」と読むから「妻が上」と書いたそうです。
江戸の人たちはユーモアがたっぷりだったのね。
いまは「年上女房(としうえにょうぼう)」なんていいますね。ところが江戸の町衆世界(社会)でそんな言いかたをすると「のてのぎょうれつ」といわれたそうです。「のて」はあと出てきます。
彼女を自分の親や友人などに紹介しようと思って話し出すときなど、小指を2回ほど動かして「蛙」というだけで通じたんですって。
つまりこの場合の蛙は「あね(姉)さん奥さん」のことね。
かえる(その二)
その一、その二というのは、私が便宜的に付けました。江戸しぐさの番号ではありません。
その一の「かえる」は年上の彼女や奥さんの意味でした。
こんどの「かえる」は町屋歩で一番大事な江戸しぐさの心柄です。
「町を歩くときには、自分の体の後にも目を持っていなさい」ということだそうです。
車で言えばリアビューミラーのことね。バックミラーっていうのは日本製の英語だわよね。つまり道を歩くときには、つねに「うしろから来る人のことも考えなさい」ということなのね。
地下鉄の入口の階段などは、幅がせまいわね。いつも思うことだけど、生徒さんたちが幅いっぱいになって上ったり降りたりしているけど、あれだと他の人が通れないわよね。
2〜3段降りたところで立ち止まって話をしているオバサンたちにも困ったものね。それから雨の日にかさをそのへんでさそうとしたりつぼめようとしたりで人の出入がさまたげられることがよくあるでしょ。
また小さい子の手をひいたお母さんなども階段をふさいで降りたり上ったりしている人が多いわね。
子どもに階段の上り降りを練習させる気持ちはわかるけど、人の来ない時間や場所を見てすべきよね。これもTPOを考えないとね。
芝先生のお話だと、昔の東京の地下鉄といえば銀座線を指したそうだけど、出入口が歩道にできたころ、子どもの手をひいた若いお母さんが幅いっぱいになって階段ふさぎをしていると、あとから来た老人などが「ほらほらお母さんまで蛙になっちゃ困りますよ。お気をつけなすって。」などと言って通りすぎたそうです。
そのころには、まだ江戸の「社会教育性」が残っていたので「あとふさぎ」とか「かえる」がいなくなったそうです。
つまり、この場合の蛙は「お母さんまで子どもみたいにぼんやりしてちゃいけないよ!」といういましめの言葉ですね。
第一章 終わり